こんにちは、ロタケです。
今日は私のもう一つの趣味、登山について書きたいと思います。
私の登山の歴史
小学生~中学生
私の登山の歴史は古くて、かれこれ40年以上も前の小学生のころからになると思います。とはいっても、父親に連れられて、大阪近郊の六甲山や比良山を1年に数回ほど登っていた程度で、登山というよりハイキングに近かったかもしれません。
その当時は、山に登る行為が好きだったというわけではなく、山で食べるインスタントラーメンの美味しさに惹かれていたように思います。
高校時代
本格的にアルプスに行くようになったのは、高校でワンダーフォーゲル部に入部してから。といっても大阪の高校ですから、アルプスに行けるのは、年に1回の夏合宿くらいで、それ以外は六甲山や比良山といった低山での登山がメインで、ロッククライミングや本格的な冬山とは無縁でもありました。
浪人時代
大学に入るまでに1年浪人生活をしていますが、その夏の1週間を使い、涸沢にテントを張って遊んだのはいい思い出です。(受験勉強から解放された1週間は私にとっては天国でしたが、親はヒヤヒヤしたでしょうねぇ~)
大学時代
大学に入学してからは登山とは離れましたが、高校のワンダーフォーゲル部の同期生に誘われて、大学3年のひと夏だけですが、北アルプスの鏡平山荘でアルバイトをしていました。毎日、槍穂高を眺めながら過ごした1ヶ月は本当に楽しくて、ちょうど就職活動に入る前でもあったので、真剣に山小屋への就職も考えたりもしました。今から考えると正気の沙汰ではありませんが、それほどインパクトのある体験でした。
社会人 40歳まで
結局は普通の会社に勤めることになったのですが、いざ会社員になってしまうと、日々の仕事に追われ、また休暇もあまり取れなくて、登山に行くこともなくなってしまいました。登山が嫌いになったわけではありませんでしたが、特に海外旅行やスキューバダイビング、釣りにゴルフといった新しい趣味に目覚めてからは、山に登りに行くという選択肢は、後回しになってしまったように思います。
社会人 40歳から
マラソンをきっかけに登山を再開
もともと「食べても太らない」体質だったのと、ゴルフやスキューバなど軽い運動は継続していたので、メタボとは無縁のまま中年を迎えたのですが、40歳を境に、「食べたら太る」体質に変化(老化?)し、このままではマズイと思って始めたのがマラソンでした。
マラソンのベストタイムは、なんとか「サブ3.5」が達成できた程度ですが、月間走行距離は200~300キロと自分なりには真剣に頑張っていたんじゃないかと思います。
マラソンは11月の大会と4月の大会に必ずエントリーをしていたのですが、11月の大会でいいタイムを出すためには、夏場にいかに追い込めるかがカギになります。
そこで目を付けたのが登山でした。 標高の高い涼しい環境で、心肺機能と足の筋肉をいじめ抜く。しかも昔の登山経験も活かされる。
その頃は、東京に転勤になり、横浜暮らしをしていたので、真っ先に登ろうと考えたのは「富士山」になります。
モットーは「準備はしっかり、安全第一」
ただそれなりに山の怖さは知っていますので、いきなり日本最高峰に登るなどといった無謀なことはしません。登山に関しては「準備はしっかり、安全第一」がモットーなので、まずは丹沢山系で足慣らしをしようと考えました。 それで久々に登ったのが丹沢山系で一番メジャーな大倉からの塔ノ岳と鍋割山のルートでした。
それが今から5年前になります。
久々に登る山が楽しくて、この丹沢を機に徐々に山行が増えていきました。 特に横浜から南アルプスへ行くのに3時間もかからないということに気付いてからは一気に山行の頻度が増えたように思います。
私の登山形態
マラソン好きが山に行くので、トレイルラン?と思う方もいるでしょうが、私は山では走りません。山では「景色を見ながらゆっくりと歩きたい派」です。
あと、山登りでは岩場が好きだという方も多いと思いますが、私は「岩場・鎖場は極力避けて通りたい派」です。安全第一がモットーなので、冬山も当然やりません。
緑が青々と輝く山を歩くのが好きなので、6月から9月の夏山がメインの登山になります。
こんな私の山行記録や装備品についてのインプレ等を紹介していければと思いますのでお付き合いください。
(紹介というよりは、自分が楽しかったことをただ書き連ねることがメインです(^_^;) せっかく楽しいことに没頭しているのですから、その楽しさがちょっとでもにじみ出るといいなぁと願っております・・・)
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